日常風景のちょっとした違いと「動物感覚」 という本
今週のお題「今だから言えること」
ほとんど毎朝十二支苑周辺を犬と散歩しているわけですが、毎日同じ道でもほんの少しづつの違いはあります。太陽が出る角度と方向が微妙に違ったりしますし、もちろん天気は毎日変わります。
この日は、いつもの見慣れたメタセコイヤの並木が面白かったんです。
スマホで撮影ですから、すごくわかりずらいでしょう。
もう少しアップになるよう、画像を加工します。
木のてっぺんに一羽ずつ、カラスが乗っているんです。
とても気持ち良さそうでした。たまに一羽だけ飛んで、また戻ってきたり。
家族で飛行訓練をしていたのかもしれません(写真って、撮り始めるとちゃんとズームができるいいデジカメが欲しくなりますね。こんな日は特に)。
このカラスたちは、この日以外でここに停まっているのを見たことがありません。
こういうことに目が行ってしまうとき、「動物感覚」という本を思い出します。
その本の著者は、自閉症です。自閉症の感覚と動物の感覚はほとんど同じだから、動物の気持ちがわかるということで、動物行動学者兼家畜コンサルタントのような仕事をしている人です。
海外の方ですが、翻訳本が出されるくらいですから有名な方です。
翻訳本って、大抵必要以上に分厚いんですよね。この本もとても読み応えがありますが、私が要約するとつまり、「動物は小さなことでも敏感に反応するのではなく、小さなことにこそ敏感に反応する。」ってことです。
その本には載っていない例えですが、小動物がいつも通るけもの道があるとします。ある日、その道のわきの一部の茂みがほんの少しだけ不自然に盛り上がっていたら、そこに捕食者が隠れているかも知れません。
だから、間違い探し的なくらいに日常よりもほんの少し何かが違うという状態は、結構危険なんです。小動物からしたら、それで一生が終わっちゃうかも知れないのですからね。
カラスが高い木の上にいたとしたら、普段の低めのねぐらに木登りが得意な肉食の小動物がいたからという可能性もあるわけです。
逆に言うと、だから動物感覚では同じルーティンにこだわるし、ちょっとした間違い探し的な細かいことに気がついちゃうんです。これは自閉症の典型的なパターンの一つと一致するようです。
そうなるともう、自閉症が異常なのか、動物として当然ある感覚が敏感なだけなのか、もうわからなくなります。こういう問題に関して、私はもうその症状というか個性が、社会的か反社会的かでしか判断できないのではないかと思います。
私は多動症の一症状で今こうして毎日ブログを書いているんじゃないかと思うくらいです。実際にそういう諸症状の問診票をやってみると、大抵の人は半分近くはどれかの症状で丸がつくようです。
「考えがまとまらない時がある」とか、普通にあります。
やっと「はてな」さんのお題につながりますが、これは本当に今だから言えることですね。子供の頃は普通に引っ込み思案でしたし、そんなこと言ったら普通にお医者さんに連れていかれます。今もスイッチが入らないとそうなんですが。
社会生活に支障があるかどうか以外に、はっきりとした境界線があるのかどうかはよくわかりませんが、私は人よりは動物感覚があるとは感じています。
いわゆる動物馴致やトレーニングの「センス」というやつですが、センスは感性、つまり感受性であり、感受性とは相手の身になって感じられる能力であり、それは相手の身になって考えてみることで磨かれると思います。
それがこのブログの初期の頃に書いていた「脳内会話」シリーズのネタにつながるわけです。
そんなことを考えていたら、カラスにかあかあ笑われましたがね。
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