鳥が痛みを感じない説は一理ある
大型インコ好きには割と有名な話ですが、キバタンはなんと、唐辛子の丸かじりをしても平気です。他の動物からしたらとんでもない刺激物ですから、本当に健康に影響はないのか諸説あるところです。
一応断っておきますが、私の書くことには「ホンマでっか?」な情報も多いので、特に今回は話半分かそれ以下で聞いて下さい。というのは、動物園の飼育係は動物のプロ中のプロですから、聞かれたら何でも知っているというのが建前です。お客様になにか聞かれて、「知りません」と答えるのは恥だという教育を、どこの動物園でも少なからず受けていると思います。
私はそういう知識より、自分の頭で考えることの方が面白い話になり、結果、動物に対して興味をもっていただける方が増えるのではないかと考える方ですから、知識のなさに対して、他の人よりは自分に寛容なんです(笑)。
「あいつの言ってることはおかしいと思うから、それをきっかけにちゃんと本流を学びたくなった」と言われれば、それは私には褒め言葉くらいの自由人ピエロです。
さて、まずは辛い植物はなぜ辛いのか。辛い植物は、できるだけ鳥に食べてほしいと願って辛く進化したんです。鳥ほど種を遠くに運んでくれる動物はいないですからね。つまり、鳥はもともと辛いものが得意なんです。鳥全部かは知りませんから、ここでは大型インコの話にしておきます。
(ただ、そのように植物が努力してそのように進化した結果、人間に香辛料として加熱して食べられちゃうのはブラックユーモアですね。)
熱さ冷たさもそうですが、辛さの刺激も、究極は「痛み」と感じられます。
その辛さを感じないということは、痛さも感じないという乱暴な説をどこかで聞いたことがあるんです。
さらに、こういう話も聞いたことがあります。
「動物は全般的に痛みを感じない。なぜなら、痛いという言葉がないから。」
・・・一見、とんちのような話です。
だけど、コンゴウインコがあの毛孔から血が出るような痛そうな毛引きという行為を平気でするのを見ちゃうとどうも、なんとも言えません。
「概念」について思うことがあります。
今はそんなことないでしょうが、「アメリカとイギリスにうまいものなし」って聞いたことありませんか?味覚で、「うまみ」という言葉があるのは日本だけって話も。うまみは間違いなくある味なのに、そういう概念がないばっかりにその味がない。出汁の味がないんですね。うまみのもとは、別に鰹節がなくても、トマトにだって入っているのにです。
もうひとつ、専門学校時代に、お猿さん学(?)の先生から聞いた話があります。
「サルにとって痛みは社会的なものである。」 これはすごく印象に残っています。曰く、「観察中、山である一匹のニホンザルを見つけた。そいつは、片手で何かをもって木々を移動している。死んだ子ザルとかと思ってよく見たら、その猿のはみ出た内臓だった。きっと何かで大けがしたんだろうが、そうとは思えないほど平然としていた。かたや、それほど痛みに強いニホンザルが、ボスザルにちょっと後ろから毛をつかまれたくらいで実に痛そうな声を出す。ゆえに痛みは社会的なものである」と。
痛みは生きていく上で絶対に必要な感覚です。
お猿を引き合いに出せば、痛みがないのなら、自分の内臓だって食べちゃうかもしれません。では、どうすれば全部の折り合いがつくかと考えたら、痛みを含めたマイナスの感覚は全てただのにぶい「不快感」で、あとは恐怖という感情が大部分をフォローしているのじゃないかと思っちゃうわけです。
お前の思考がイタいわ!
ついでに、ひくわ~。(談:カドリー)