動物トレーニング論 マテとヨシの功罪
似たようなことを書いたことがあるかもしれませんが、犬の訓練が進み、たくさんのコマンドを教えるにつれてトレーナー側の国語力が結構大切になってきます。そのコマンドを自分がどういう意味で発しているかが問題になってくるのです。また、犬側がどう解釈しているかの考察も国語力がないと難しいです。
「オスワリ」は、四本足で立っている状態から後ろ脚2本を折ってお尻をつけるさせることでしょうか。そうだとすると、すでにオスワリをしている犬に「オスワリ」と言ったら、一度腰を浮かせて、また座るようになります。
私はオスワリと言われたら次のコマンドがあるまで座ったままと考えていますが、
トレーナーでもない限りは普通、そこまで意味は考えません。
そういう人は、オスワリをさせ続けるために「マテ」のコマンドを多用することも多いと思います。
しかし、「マテ」と「ヨシ」という、この誰でも使う基本的な合図はかなり、もろ刃の剣だと思っています。
犬に正しい服従心を教える為には、犬の食事を待たせるということが基本中の基本です。しかし、「この行為が犬側の勘違いの元になっちゃうんだよなあ。」というのが私にとって永遠のテーマ(?)なのです。
まず、ご飯の前の「マテ」について。大抵の犬はこの「マテ」というコマンドを食事を通じて教わります。これが一番最初に教わるコマンドだという場合も多いでしょう。犬が理解するこの言葉の意味は、「ヨシという解除があるまで我慢しろ」です。解除が前提なのですね。
で、ここで国語力の話になりますが、「我慢しろ」と言う言葉のアヤについて。
よく、今の子供は我慢が出来ない、と言われます。というか、私くらいの年代でも子供の頃にすでにそう言われてきました。どこの家でもおじいちゃん、おばあちゃんに「戦時中はね、いくら欲しいって言っても食べ物なんか無かったんだよ。」とか普通に言われたものです。
私は内心、それにすごく違和感を感じていました。それは「諦める」ってことで、今欲しいご飯を夕食の時間まで「我慢」しなさいって話とは全然違うことじゃないの?と。甘い時代に生きていることは百も承知で、目の前にあるものを我慢する方が、ないものを我慢するより辛いんじゃないの?と思ったものです。
で、マテのコマンドに戻ります。
犬が急に走り出した時とか喧嘩しだしたりした時に、それを止めたいと思って「マテ!」ととっさに言った時、犬側にとっては「まだ走るな我慢しろ」「まだ攻撃するな我慢しろ」と受け取ってしまい、一応動きは止めつつも内面的にはますますパワーをため込んでしまう可能性があるのです。
これが俗に言う「ストレスを貯めやすい性格の犬」を作る一因にもなります。
次に、「ヨシ」のコマンド。餌の場合は、「食べることを許可する」という意味なのですが、犬側は「欲望のままに好きなようにしていい」と受け取ってしまうのです。
訓練が進むと、散歩の前にリードをつけるとか、いろんなところで「マテ」というコマンドを与え、「ヨシ」で解除します。解除したとたんに嬉しそうにはしゃぐ愛犬を見ると、残念ながら大抵の飼い主さんは、飼い主冥利につきてしまいます。犬側も自由になる上に飼い主さんに喜んでもらえるのだから、「ヨシ」に対する期待がどんどん膨らみます。
初めのうちはいいのですが、だんだんハイパー犬になってきて、褒めるととたんにキレれたように走りまわっちゃうので「よしよし」の「よ」の字も言えなくなっちゃうと問題です。ほめてしつける訓練法を取り入れたばかりに、褒めてやることもできなくなるという本末転倒。
だから私は常々、答えは出ないのですが考えます。
ご飯の時に「よし」に代わるコマンドはないものかなあ。「食べろ」じゃああまりにも犬の人生に干渉しすぎな感じだしなあ。と。
長くなりましたが、全く使わないわけにはいかないこ2つのコマンド、代わりの言葉に置き換えられるならできるだけ使わない方がいいですよというお話でした。
・・・あまりピンとこないなら、私の国語力が足りないですかね。
ちょとマテちょとマテ、おにいさん。
マテの意味、わかりません。